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事例

カルビー株式会社
コーポレートコミュニケーション本部
広報部 広報課
幕内 理恵様
カルビー株式会社戦略史
B5サイズ 134ページ

カルビー株式会社では2008年、初めての社史を発行されました。
それは「歴史に学び、未来を創る。」という“戦略史”。その名に秘められた想いや、担当者様にとって初めての社史編纂におけるご苦労と工夫を伺いました。

戦略史に秘められた創業家の想い。残すべきこと、変えるべきこと

カルビー株式会社(以下、カルビー)は、戦後間もない1949年に広島の地で創業されました。深刻な食糧不足で栄養失調に苦しむ人々に、何とか健康なものを提供したい――。それこそが、創業者・松尾孝氏の想いでした。「ビタミンが豊富な米の胚芽から食べ物を作り、そこにカルシウムを加えれば健康食品を作れる。創業者のその発想は、後に社名というかたちで表されることとなりました。すなわち、カルシウムの“カル”とビタミンB1の“ビー”を掛け合わせたのが、カルビーの由来なのです」。

『かっぱえびせん』『カルビーポテトチップス』などの大ヒット商品を世に送り出し、カルビーは菓子メーカーとして大きな飛躍を遂げていきます。そこには、創業家の熱い想いが息づいており、長年にわたり創業者一族で経営トップを担ってきました。
大きな転機が訪れたのは2009年。「創業60周年の節目に経営陣を一新し、代表取締役会長兼CEOにジョンソン・エンド・ジョンソン元社長の松本晃、代表取締役社長兼COOには生え抜きの伊藤秀二が就任しました。翌年には本社を赤羽から丸の内へ移転統合。2011年に東証一部に上場しました」。

戦略史発行の背景には、さまざまな意図があったそうです。「創業60周年を迎えるにあたり、実は当社には社史はもちろん、年表や歴史をきちんとまとめた資料がありませんでした。対外的な対応や近い将来の株式上場を目指すうえでも、ぜひとも会社の歴史をまとめた資料が必要だと考えていたのです」。

また“脱創業家”というエポックも重要な要因でした。「たとえば、『かっぱえびせん』も『カルビーポテトチップス』も、もともとは十分利用されていなかった食材をまるごと利用するという考えから生まれました。『未利用の食糧資源を活用する』という創業のDNAは、たとえ経営が変わっても守っていくべき大切な考え方。それを明言化するためにも、単なる社史ではなく経営戦略のポイントを含めた“戦略史”の編纂が、具体的に動き始めたのです」と、幕内さんは当時を振り返ってくださいました。

こうして、カルビー60年の歴史を盛り込んだ一冊を作ることとなったのです。

“戦略史”という仕様へのこだわり。経営的視点を盛り込み、社員の教育ツールに

戦略史編纂においてまず重視したのは、創業のDNAをしっかりと伝承する内容にすることでした。「この戦略史の執筆は、神戸大学の小川進教授が担当されました。小川教授から創業家の元社長である松尾雅彦にインタビューしていただき、歴史的事実をまとめると同時に、経営的視点も織り込むという形式に至ったのです」。

この冊子が社史ではなく戦略史とされているのには、こうした背景がありました。「M氏の視点」として、コラム的に松尾雅彦氏のマインドやコメントも掲載。加えて、マーケティング戦略や流通施策なども盛り込まれており、事実や想いを住み分けながら読みやすく掲載する形式としました。

また、当初よりこの戦略史は社員をターゲットとしていました。対外的に情報発信するにも、まずは社員がカルビーの歴史、そして考え方を理解することが重要だと考えたからです。また、カルビーのDNAを掲載する以上、かなり深い内容を活字化することとなることも、配布先を社内に限定した理由の一つです。この戦略史は社員の教育ツールとしての活用を見越し、社員数と同等の4,000部を発行することとなりました。

初めての編纂、苦労と工夫。永遠に終わらないかと思った。。。

実際に戦略史編纂がスタートしました。「語り手は創業家の松尾雅彦。聞き手と原稿執筆は小川教授が担当してくださいました。そして、経営企画と広報の担当者計3人が編集・校正を行いました。JBAさんには編集・校正に加え、原稿やデータの取りまとめ全般を依頼しました」。カルビー社内では実質3名体制でのスタート。組織やプロジェクトを組むわけではなく、通常業務と兼務で行うことになったそうです。「実は、戦略史編纂のアイデアが出てきてから実際の完成までには、5年もの年月を要しました。企画が誕生し、小川教授に依頼して松尾へのヒアリングをスタート。インタビューと原稿執筆には約2年かかりました。その後、完成した原稿に対して松尾が修正指示を渡すなど、やり取りが進められました。一方、編集・校正を担当した私達の方では、改めて社内資料を集めるところからスタート。とはいえ、社史制作の経験もなく、兼務でもあり、なかなか思うようには進まなかったのが正直なところです。もしかすると永遠に終わらないのではないかと、ゴールが見えず不安な時期が続きましたね」と、幕内さんは制作時のご苦労を振り返ります。

やはり、資料収集は最も大切なプロセスの一つ。当時、赤羽にあった本社ビルの社長室横には、誰も足を踏み入れていない倉庫があったそうです。「はじめはやっぱり、何からしてよいのか分からなかったので、まずは社内資料をあたりました。手探りでも進めていかなければと。」幕内さんらはその中に足を踏み込み、ずらりと並ぶキャビネットの中から必要な資料を探し出したのだとか。当然ながら紙でしか残っていない資料も多く、お客様へお送りしたパンフレットや手書きのパッケージなどもずいぶんたくさん出てきたそうです。資料の保管場所をデータ管理することで、必要な資料を必要な時に使えるよう整備するところからスタート。資料のジャンルをリスト化した一覧管理シートを作成しました。そして、戦略史関連の資料は社内担当者の3名とJBAの担当者1名の計4名で管理方法を統一化し、情報共有を徹底。閲覧フォルダを一つにまとめることで、情報の重複や抜け漏れを防ぎました。

カルビーでは、経営陣が集う会議が定期開催されていました。「戦略史編纂にあたり、まずはこの場で制作内容と予算を報告。“社史に求めるものとは”という議題でディスカッションを行ったこともありました。ほぼ完成に近づいた段階で再び会議に出席している役員にゲラを配布し、1か月の期間を設けて内容チェックを依頼しました。記載内容の誤認や活字化するうえでのリスクなどもこの場でコンセンサスをしっかりと取ることで、発行前に社内の了解を取る期間を確保しました」。稟議書1つ取っても、幕内さんらにとっては初めての経験。決裁する側も未経験のため、折々で丁寧な説明を心掛けたそうです。たとえば、神奈川県立川崎図書館に通って他社の社史を貸し出してもらい、見本として見ていただくなど。地道に根気強くプロセスを進めていくことが、社史編纂の大事なポイントなのかもしれません。

戦略史発行後、今でも実感する多様な成果

戦略史の完成後は、当初の予定通り社員の皆さんに配布されました。新入社員や中途社員にも必ず配布しています。さらに新入社員研修の一環として松尾氏による戦略史を教科書とした講義も実施。カルビーのDNAをインプットする場として活用されています。「お客様相談室に寄せられたお問い合わせに対して利用することもあるそうです。たとえば、『家にかっぱの古い人形があったのだけれど、これはカルビーさんの商品ですか』といって写真が送られてきた際、以前なら誰もわからなかったのが、戦略史編纂の過程で過去のキャンペーン資料なども整理されたので回答できた、という例もありました」。
その他にも、復刻版などの商品企画の参考資料としたり、採用活動で利用するムービー作成の参考としたり、社外の業界研究者やメディア関係者に貸し出したりと、現在でも幅広い場面で戦略史が活躍しています。

今後、70周年を見据えた動きとしては、あらゆる情報をウェブ社内報に集約したいという想いを話す幕内さん。「戦略史編纂では資料収集と整理に大変苦労しましたので、情報を集約するプラットフォームを設けることで、次はよりスムーズに編集できるようにするための準備を進められればと考えています」。

完成した後の活用、さらには次の編集に向けた取り組み…と、今後も社史編纂の展開はますます加速していくと期待されます。

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