OUR WORKS

事例

旭ダイヤモンド工業株式会社
管理本部総務部人事課課長
水野隆彦様
管理本部総務部総務課主任
下村健太郎様
社史と社員アルバム

旭ダイヤモンド工業株式会社は2017年、創立80周年記念事業を実施しました。記念式典、社史編纂、経営理念改定の3つの主要施策を中心に、社員アルバムの発行や社内報を通じた事前の盛上げ施策等も行い、過去5回の周年記念事業の「前例を踏襲しない周年記念事業」でした。同社がこれにチャレンジしたのは、なぜだったのでしょうか。

国内No.1企業が直面している経営課題

ダイヤモンド工具が日本で初めて輸入されたのは1907年(明治40年)のこと。以降、明治、大正、昭和と輸入ダイヤモンド工具の時代が続きました。そんな中、ダイヤモンド工具の国産化を志し、1937年(昭和12年)10月に旭ダイヤモンド工業を創業したのが笠木一郎氏でした。
笠木氏は創業時から「技術者育成」と「綿密な市場調査に基づく販売拡大」を経営方針に、「輸入品に負けない国産ダイヤモンド工具」の普及に取り組みました。そして、わが国が戦後復興期を経て高度成長期へ移行。経済活性化に伴うダイヤモンド工具市場の成長と共に旭ダイヤモンド工業も力強く成長。今日の国内シェアNo.1の「ダイヤモンド工具総合メーカー」に発展してきました。

その原動力が、社員の声が活かされるボトムアップ型の自由闊達な風土とそこから生み出される独創的な製品開発力、多種多様な個別仕様の一品生産を支える高度な技能、その切磋琢磨が尊重される実力主義と言えます。加えて、短期的成果ではなく長期的成果の重視で社員の成長をじっくり見守るアットホームな社風と言えるでしょう。
反面、創業以来、社員の意見とモノづくりを伝統的に重視してきた影響もあり、社員は所属部門意識が強い余り、全社的な一体感はやや薄いところがありました。しかし、長らくこのことは特に問題化することもありませんでした。
問題化したのは、グローバル競争が本格化した2000年以降でした。同社も10年以上前から海外展開を加速し、現在は海外11カ国に14カ所の生産・営業拠点を展開、海外売上比率も55%(2017年3月期)に達するグローバル企業に変貌しています。
グローバル企業に共通した経営課題は、為替変動やカントリーリスクによる「市場環境の急激な変化にいかに柔軟に、迅速に対応するか」にあります。このため、従来は競争優位性要因にさえなっていた同社の特長が、成長阻害要因とも言えるようになってきたのです。

そこで、「市場の急激な変化に柔軟に迅速に対応し、安定的に成長し続けられる企業基盤を築くためには、まず弱点を克服しなければ」と考える社員たちが次第に増えてきました。同社はそんな中で、創立80周年を迎えようとしていたのでした。

コンセプトの明確化で>周年記念事業の方向性も明らかに

社員の投票できまった80周年のロゴ

同社は全社一体感を醸成する社内メディアとして、社内報を年4回発行してきました。
この社内報編集長を務める水野隆彦課長が、3年ほど前から社内報の社長インタビューを通じて、社長の創立80周年記念事業実施の意向を確かめながら、徐々に周年記念事業の準備と基本コンセプトづくりを進めました。

そうして2015年10月頃に周年記念事業のラフ計画が作られ、同年12月に「創立80周年記念事業準備委員会」(以下、準備委員会)が発足。周年記念事業実施に向けた準備活動が開始されました。
準備委員会のメンバーは「会社全社の動きを一番よく把握している総務部が中心になるのが望ましい」との考えから、メンバーには本社総務部3名、大阪・名古屋支店と国内3工場の総務担当者各1名の8名が選ばれ、水野課長が事務局長を引き受けました。
また、準備委員会の施策検討会議では、「どんな施策を実施するかを考える前に、周年記念事業のコンセプト決定が先だろう」との意見で一致し、まずコンセプトの検討から始めました。

そこには、過去の「出席するだけの『セレモニー』では社内があまり盛り上がらなかった」(水野課長)との反省がありました。さらに、グローバル競争を念頭に「今度の周年記念事業を、社員の意識を変えるチャンスにしたい」との共通認識もあったようです。
こうした以心伝心の検討積み重ねで2016年2月半ば、次の3つの「周年記念事業基本コンセプト」が決定されました。そこには、準備委員会メンバーの次のような思いが籠っていました。

コンセプト1:社員参加型の周年記念事業

従来のように、「出席するだけ」の周年記念事業ではなく、できるだけ多くの社員を周年記念事業の準備活動に巻き込む「社員参加型」を目指す。これにより、所属部門と同時に会社全体の利益を考えられる社員の意識改革に繋げる。

コンセプト2:ボーダレスを加速させる周年記念事業

当社は伝統的に工場単位の組織縦割り意識がある。このため「我が工場・我が部門」意識あっても「我が社」意識はやや希薄。これでは今日のグローバル競争に全社一丸となって勝ち抜く意識の早期醸成が難しい。
そのためには、当社の良き社風(自由闊達、個人裁量、実力主義、長期的視野)を活かしつつ、いかに会社への求心力を強めるかが重要。その重要な仕組みの1つが「ボーダレス」。社長も折に触れ「社員は異動により、様々な社内文化に触れることによって成長する」と述べ、近年は組織間異動の活発化により社内ボーダレス化を進めている。
そこで、周年記念事業の準備活動を通じて組織を超えた社員間交流を図ることにより、ボーダレス加速に繋げる。

コンセプト3:未来志向の周年記念事業

従来の周年記念事業は、いずれも「お陰様で○○周年を迎えられました」式の「過去振り返り型」事業だった。換言すればCIを考慮しない「一日だけのお祭り」だった。
今度は周年記念事業を「100周年から150周年、200周年の未来に続くゴーイングコンサーンに向かって、我々は今何をしなければならないのか、どんなことに挑戦しなければならないのか」を真剣に考えるチャンスにしたい。
水野課長は「未来志向を打ち出すことで、特に20-30代の若手社員が中止になって、100周年を睨んだイベントが企画できるようにしたかった」と言います。

コンセプトが決まったことにより、周年記念事業として実施すべき施策も自ずと輪郭が明確化しました。その結果、80周年記念式典、80周年社史編纂、経営理念改定の3件が主要施策に決まり、これを推進する「80周年記念式典事務局」、「80周年史編纂委員会」、「経営理念改定プロジェクト」が結成され、周年記念事業実施の準備活動が本格化しました。
周年記念事業の施策に経営理念改定を加えたのは、社員のアイデンティティ確立が目的でした。

一般社員を巻き込み、社内浸透にも成功した経営理念改定プロジェクト活動

新理念のロゴ

「経営理念改定プロジェクト」では、2016年11-12月の2カ月にわたりメンバーの選定が行われました。
メンバー選定においては「自分がトップになった時に、会社の将来像を描ける人材を発掘したいとの目的もあり」(水野課長)、課長級以上の社員の中から、各部門長に「次世代のリーダー候補」を推薦してもらう形で進めました。
そして経営理念改定プロジェクト幹事2名がメンバー候補者との面接等を経て候補者を絞り込み、8名のメンバーを最終決定しました。その結果、水野課長は「視野が広く、経営感覚も優れたエース級の社員が本社、工場、工場の垣根を超え、思いを一つにしてプロジェクトに集まった」と言います。
かくして「経営理念改定プロジェクト」が2017年1月に正式スタート。

  1. 1-3月:強み・課題の洗い出し
  2. 4-6月:ありたい姿の描き出し
  3. 7-9月:理念の言語化

――のステップで行われ、役員会への最終案提出・承認を経て、10月11日の創立80周年記念式典の席上で正式発表されました。
「強み・課題の洗い出し」を行ったことにより、「旭ダイヤモンド工業のありたい姿」の方向性が明確になり、そこから自社のアイデンティティに根差した旭ダイヤモンド工業独自の経営理念策定のぶれない道筋が見えてきました。
また、8名のメンバーは、
●各工場・営業拠点での部門ミーテイング開催による「強み・課題の洗い出し」実施
●合宿による「理念の言語化」の最終文言練り上げ
――を行うなど、約10カ月にわたる全社的活動を精力的に進め、その大役を果たし終えました。

全社員参加型
若手社員による記念式典運営

記念式典後に発行された社史には
イベントの様子が掲載されている

80周年記念式典は、水野課長を事務局長(80周年記念事業準備委員会事務局長兼務)とする事務局メンバー15名とサポートメンバー10名から成る「80周年記念式典事務局」が設置され、この事務局を中心に準備が進められました。
準備は2016年2月半ばに80周年記念事業準備委員会で決定された「周年記念事業基本コンセプト」に則り、記念式典のガイドラインを策定した後、式典会場の候補抽出と候補会場の下見・式典会場決定(2016年5・6月)、記念式典ガイドラインと式典会場の役員会承認(2016年9月)、記念式典のイベント内容・概算見積等を記載した稟議書起案と役員会の稟議承認(2017年9月)、式典会場で使用する各種機材・資材発注等記念式典準備(2017年9月)、記念式典開催(2017年10月)の手順で進められました。

過去の記念式典は移動距離の関係で東会場と西会場の2回に分けて開催していましたが、前述のコンセプトを叶えるために社員が一堂に会することが必須でした。そのため、式典会場は有楽町の東京フォーラム、ホテルニューオータニ東京の大宴会場、横浜アリーナの3会場が候補に挙がりました。各会場の収容能力を調べた結果、記念式典当日の出席予定者数(国内旭ダイヤモンド工業グループの役員・社員約1400名)を楽に収容できる会場は横浜アリーナがベストと判断しました。そこで同会場を下見したところ、スペース的にも設備的にも問題のないことが分かり、遠方からのアクセスもよいことから同会場が式典会場に決定されました。
また、記念式典ガイドラインと式典会場の役員会承認から記念式典の稟議書起案・承認まで1年の空白が生じたのは、経営理念改定の役員会承認を待つ必要があったからでした。
今回の記念式典は改定した経営理念発表会も兼ねており、記念式典のメインイベントに位置付けられていました。したがって、経営理念改定が決定しないと、記念式典の様々なイベントとその順番を決められないのでした。
もう1つ、過去2回(50周年と70周年)の記念式典開催と異なり、若手社員が式典準備と開催当日の式典運営に当たったのが、今回式典の大きな特徴でした。
過去2回の式典運営はすべて本社総務部が主導していたため、「社員は式典の準備も運営もノータッチ。特に若手社員はお祭り参加気分だったので、若手社員に『周年記念式典』の意義も十分に伝わらなかった」と、水野課長は振り返ります。そこで今回は、お祭り参加気分を払拭すると同時に、若手社員にイベント運営の経験を積ませるチャンスにしようと思ったのです。
そうして、記念式典事務局は記念式典開催前日に、横浜アリーナで若手社員に式典運営の段取り説明を行った後、事務局メンバーと若手社員は一緒になって会場設営と予行演習を済ませ、翌日の記念式典開催に備えました。

かくして当日の記念式典はプログラム通り着々と進み、祝宴会場では社長がビールサーバを背負い、社員へビールを注いでもらうなど、参加者は和気藹々とした雰囲気のうちに全社一体感を存分味わう半日を過ごしました。

自社製品に対する顧客の思いや他事業拠点への親近感を深めるツールにもなった社史

会社としての歴史だけではなく
拠点ごとに象徴的な歴史を綴った

社史編纂も、準備委員会の検討会議で「当社の広報機能を担っている総務部が中心になるべきだろう」で意見が一致。こちらも水野課長が編纂委員長に、本社総務部と全国事業拠点の総務担当社員の中から10名が編纂委員に選ばれ、「80周年史編纂委員会」が発足しました。
そして準備委員会の周年記念事業基本コンセプト決定後、それに則り、編纂委員会では編集方針と全体構成決定(2016年6月)の後、企画具体化、資料収集・整理、取材準備、予算概算見積もりなどの作業が進められ、稟議書起案・役員会承認(2017年1月)、取材・執筆(同年年2―11月)、発刊(同年12月)の手順で編纂が進められました。

今日の社史は、産業・業界史の一環として通用する「史料的価値」に加え、社員や取引先に「いかに興味深く読んでもらえるか」が重要になっています。国会図書館等に保存され、「社史研究者等一部の読者に読んでもらうだけの社史」では、社史そのものの価値を高めることに繋がらない時代と言えます。
そこで、編纂委員会は80年史のコンセプトを「社員に自社の歴史を興味深く読んでもらえる社史、読んでモチベーションが上がる社史」と、そのターゲットを明確化しました。
そこで、旭ダイヤモンド工業の従来の社史編纂には発想がなかった「特集」と全国事業拠点のそれぞれの活躍と思いを記録した「拠点ごとの歴史」を社史に盛り込みました。これには、ややもすれば単調になりがちな社史に、メリハリをつける狙いもありました。

特集「ものづくりダイヤの輪」の狙い

「灯台下暗し」で、メーカーの場合、自社製品を顧客がどのように使っているのかを社員が知る機会はほとんどないのが実情です。知っているのは営業社員だけです。そこで、社史を通じて顧客が自社製品をどんな思いで採用し、どのように利用し、それが最終的にどのような形で社会に貢献しているのかを知ってもらい、社員が自社製品を通じたもの作りと自分たちの仕事への誇りを持つ一助にしたい。これが本企画の狙いでした。
当企画では自社顧客の中から自社製品の特徴をうまく引き出して技術革新、品質向上、新需要創出などに活かしているメーカーを取材基準に、B to BメーカーとB to Cメーカーを1社ずつ選定。ユーザ取材依頼を行い、先方の好意的な協力で社史とは思えない内容の濃い記事制作に成功しました。歴史の事実を通じて編纂することで、客観的にかつインパクトの大きいメッセージを届けることができました。

「拠点ごとの歴史」の狙い

社史の柱である「通史」は、自社全体の歴史なのでエポックメーキングとなる主要な軌跡しか記録できません。しかし、その裏には事業拠点ごとの汗と涙と笑いの歴史があり、それが杭となって「旭ダイヤモンド工業の歴史」を支えています。そこで、80年史の編纂に当たり、編纂委員会はこの機会に「事業拠点の通史」を社史に盛り込みたいと考えました。
その結果、社員は自分の所属以外の事業拠点の足跡と業務内容・役割が一読で分かるようになり、この企画は普段接点のない他の事業拠点への理解と親近感を深めるページになり、全社一体感を高めるツールの1つにもなりました。

部門間コミュニケーション活性化。ツールになった社員アルバム

近年、経営改革の一環として社内ボーダレス化推進が活発化している影響もあり、事業拠点間や部門間の交流が以前とは比べ物にならないぐらい盛んになっています。しかし、その手段は電話やメールが通常なので、相手の顔やプロフィール等その人となりを知る機会がありません。そこで、周年コンセプトの「社員参加」「ボーダレス」を本当に実現することにこだわり、編纂委員の下村健太郎主任が中心となって、社史の別冊として社員アルバムが企画されました。
この企画は予想以上の反応を起こしました。社員アルバム発行以降、その情報がきっかけとなり、部門を超えたコミュニケーションツールとして活用され、趣味が同じ社員が誘い合わせて同じサークル活動に参加したり、アフター5の飲みニケーションを楽しむ社員が増えるなど、部門間コミュニケーションの活性化にも大きな効果があったようです。

ページTOPへ